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日本海洋文化総合研究所

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灯台が指す未来への旅路② 〜海と灯台学カンファレンス2025 レポート 第2セッション〜

灯台観光は⼈や地域を幸せにするか―灯台の⾜下を⽣かすジオパークの取り組み

第2セッションでは、栗原憲一氏(株式会社ジオ・ラボ 代表取締役)が企画・進行を務め、南紀熊野ジオパークセンター研究員の福村成哉氏、隠岐ユネスコ世界ジオパーク推進機構認定ガイドの福田貴之氏が登壇。灯台観光が人や地域社会にもたらす幸せとは何かをテーマに、灯台の足元に広がる地球の営みに目を向けた。地質資産を通じて地球の記憶から学び、未来の地層をつくるために、一体何ができるのだろうか。

 「地球科学的に意義のあるサイトや景観が、保全・教育・持続可能な開発を含む概念によって管理された、単一の、統合された地理的領域」と定義されるジオパーク。現在、日本では48の地域が日本ジオパークとして認定されており、そのうち10地域がユネスコ世界ジオパークにも登録されている。これらの中には、海辺に位置し、エリア内に灯台を有するジオパークも存在する。そうした背景を踏まえ、栗原氏は本セッションで「灯台と観光」をテーマに、ジオパークという切り口から、灯台の活用方法について議論を深めたいと述べた。

灯台から見る南紀熊野(福村成哉氏)

南紀熊野ジオパークセンター研究員・福村成哉氏が活動する南紀熊野地域は、黒潮という暖かな海流に包まれた土地である。海流・地形・気候の複雑な交錯の中で、多様な生態系と文化が育まれてきた。

 福村氏は、橋杭岩や古座川の一枚岩、高池の虫喰岩などを例に、マグマ活動によって生まれた岩石(流紋岩や火砕岩)が、地域の景観と文化の形成に深く関わっていることを解説した。南紀熊野には、太古の自然信仰が今も息づいており、鳥居のない神社や、大岩・川中の島に神が宿るとされる信仰など、地形と精神文化が一体となった独自の風土が見られる。福村氏は、こうした地質・地形を糸口に、訪問者に自然と人との関わりを伝え、その魅力を体感してもらうことが自身の役割だと語った。

 また、南紀熊野ジオパーク内には23基の灯台が存在する。本州最南端の町・串本町に位置する潮岬と樫野埼は、明治期に灯台が建てられる以前から、鯨の群れを見張る「山見」が立つ要地だった。潮岬では北上する鯨を、樫野埼では南下する鯨を見張り、沿岸の捕鯨を支えていた。やがてその山見の地に、石造の灯台が点灯する。加工しやすい宇津木石(火砕岩)を積み上げて築かれた樫野埼灯台の近くには、トルコ軍艦エルトゥールル号遭難の史跡とトルコ記念館があり、海難救助と異文化交流の記憶を今に伝えている。

 現在、ジオパーク内では、灯台を巡り、それぞれに使用された石材や建築を大地の成り立ちと関連さて解説するツアーが開催されている。灯台は岬や断崖といった地形上に築かれることが多いため、その成り立ちを説明することで、地質・地形から歴史・文化までを一体的に伝える導線として活用できるのだ。

 「見ているものは同じでも、見えているものは違う。深く知ることや多様な視点を持つことによって、同じ風景の中にも異なる意味や物語を見いだせる」と語る福村氏。灯台の風景を「地球の物語」としてどう見つめ直すかが、地域をより深く理解する鍵になると締めくくった。

隠岐の御神火が灯す信仰の記憶(福田貴之氏)

続いて、隠岐ユネスコ世界ジオパーク推進機構の認定ガイド・福田貴之氏が、離島・隠岐における灯台と信仰の重なりについて語った。

 福田氏は、まず隠岐の地形的特徴を解説した。約600万年前の火山活動によって形成された島前カルデラは、ギリシャのサントリーニ島と並び、世界に2つしかない海上カルデラのひとつである。南方・北方・大陸系が混ざり合う独特の生態系を持ち、隠岐固有種も多いという。

 また、隠岐は旧石器時代から人の営みが続き、黒曜石の産地としての歴史を持つ。中世には流刑地として知られ、江戸期には北前船の寄港地として栄えた。島前カルデラの内湾は、波の影響が少なく港が多いことから、風待ちの港としても多くの船人に利用されていたという。

 麓に千人ほども泊まれる宿坊があったといわれる焼火山(たくひやま)は、古くから修験道や山岳信仰と結びついた聖地として「御神火(ごしんか)」が灯されてきた場所だった。後鳥羽上皇が隠岐への航海中に遭難しかけた際、この火によって無事上陸できたとも伝えられ、焼火山は船乗りたちの信仰の対象となった。

 山の中腹から灯る御神火は海上からもよく見え、まさに灯台のような機能を有していた。焼火山は、物理的な灯台が建つずっと昔から、人々にとって海の安全を祈る「信仰としての灯台」ともいうべき存在だったのではないかと、福田氏は述べた。

灯台は目的地であり、出発地である ― ディスカッションより

発表後のディスカッションでは、福村氏と福田氏がジオパークで実践する教育・観光の取り組みや、灯台とジオパークの新たな連携の可能性が語られた。

 「どうしてジオパークで働くことを選んだのか?」と問いかけた栗原氏に対し、「地域を誇りに思ってもらいたいから」と応じた福村氏は、灯台を“目的地”にするだけでなく、“出発地”として、そこから地域の地形や歴史、文化を学んでいけるような取り組みの必要性を訴えた。また、南紀では、灯台を起点としたスタンプラリー形式の学習プログラムも展開中で、「地域の子どもたちが巣立った後に、再び地元に戻ってくるきっかけをつくりたい」と述べた。

 一方、福田氏は「自分が調べたい生物も文化も、すべて揃っていたのが隠岐だった」と述懐した。環境学を学んでいた福田氏は、環境に起因する文化の形成など、物事のつながりを発見することに強い関心を持っていた。大地・生態系・人の営みの関係性を読み解く姿勢は、まさに隠岐ユネスコ世界ジオパークが掲げるテーマそのものである。

 海外からの観光客の反応について尋ねられると、福田氏は「外国の方からは、文化がどう継承されてきたのかを問われることが多い」と紹介し、隠岐・海士町に暮らす人々の、外部からの影響を受けても、地域の核となる伝統は守り抜く姿勢が共感を呼んでいると述べた。

 福村氏は、外国人来訪者に地域の文化をより深く理解してもらう方法として、まず地質や地形の成り立ちを解説することが有効だと述べ、ジオツーリズムの教育的価値を強調した。また、灯台とジオパークの連携に話題が移ると、「各地域の灯台間で、海路を通じた文化伝播の歴史を掘り下げたり、全国の灯台の利用法を比較したり、地域間で交流することが可能だ。ジオパークのネットワークを活用すれば、灯台をテーマにした巡回展の実施もできるかもしれない」と語った。

 ジオパークで働く二人に共通するのは、灯台という手がかりから、その土地や信仰、文化への理解に導こうとする姿勢だ。灯台を観光資源に据え、地球と人をつなぎ直そうとする試みは、ジオパークの理念とも共鳴する。地域に幸せをもたらす未来の地層が、ここから生まれる兆しが見えた。

ライター 佐藤真生