第3セッション「海ノ民話のまちの未来」
第3セッションでは、海ノ民話アニメーションを起点として、地域に蓄積されてきた物語や記憶を、いかに現代社会やまちづくりの実践へと接続しうるかが議論された。chairは池ノ上真一氏が務め、アニメーション制作、都市・場づくりの実践、古生物学研究という異なる立場から、沼田心之介氏、伊藤涼祐氏、栗原憲一氏が登壇した。
各登壇者の発表を通じて、アニメーションという表現を媒介に、民話がもつ地域固有の記憶が、現在社会のなかで新たな意味と役割を与えられていく過程が多角的に示された。
※当日のプログラムはこちら
「問い」としての民話

まず沼田氏は、2018年に始動した「海ノ民話のまちプロジェクト」の経緯について紹介した。海ノ民話アニメーションは、各地に伝わる民話を掘り起こし、地域の人々と対話しながら映像化する試みである。単なる昔話の再現ではなく、「地域が何を大切にしてきたのか」「海とどのような関係を結んできたのか」といった価値観を表現する。
沼田氏が語ったのは、民話の「改変」をめぐる難しさだ。宇和島で大雨災害が起きた年に制作された『おなべいわ』では、原話で老婆が死に至る結末を、地元の声を受けて助かる展開へと変更したこともあったという。これは、民話が固定されたテキストではなく、地域社会との関係の中で揺れ動く存在であることを示す事例の一つだ。
一方で氏は、基本的には民話をそのまま伝えたいと強調する。民話には、自然との関係を誤れば報いがあるといった厳しい教訓が織り込まれている。安易に「やさしい物語」へと作り替えてしまえば、海と共に生きてきた地域の知恵や倫理が失われかねない。
プロデューサーとして制作の全工程に関わる沼田氏は、民話に登場する風景やものを現地で目にしただけで、感銘を受けることも多いという。しかし、そうした場所を「当たり前の風景」と受け止める地元の人々との間には温度差もあった。「だからこそ、その感動をどう共有できるかを考える」と語る氏は、民話をアニメとして固定化するのではなく、「問い」として共有することに意義を置く。民話は「答え」ではなく、受け取った人が考え、語り直す余地を残したものだからだ。
アニメーションに含まれる創作的な要素も、現地の人々との対話から得られた情報を、限られた文献記録に重ね合わせた結果である。花や植生といった描写も、生で見た風景が反映されている。変化を前提とし、その揺れを引き受けながら、物語を一つの正解に閉じない姿勢が、制作の根底にはあるのだ。
地域らしさとプレイスメイキング

続いて伊藤涼祐氏は、都市計画やまちづくりの実践を踏まえ、プレイスメイキングの視点から議論を展開した。重視するのは、特定の建物をつくることではなく、なんでもない空間を「意味のある場所」に変えていくことである。
伊藤氏によれば、プレイスメイキングの核心は「地域らしさ」を日常の空間にどう定着させるかにある。一つの象徴的な場所だけではなく、複数の場所がつながることで、まち全体の価値や愛着が育まれる。海や港、浜辺といった空間もまた、誰もが関われる公共的な場であり、そこに地域の物語が重なることで、人々の関与の仕方は変わっていく。
前提となるのは、「誰が」「誰のために」つくるのかという整理である。プレイスメイキングの思想的背景として、伊藤氏は建築家ヤン・ゲールの言葉を参照しながら、「人」の視点に立った設計の重要性を語った。歩きたくなるウォーカブルな環境づくりは、快適性にとどまらず、人の活動を引き出し、都市の魅力や安全性を高める。
「地域らしさを形にするとき、誰がイニシアチブをとるべきか」という問いが投げかけられると、伊藤氏は「昔からの住民を尊重しつつも、新たな視点をもつ第三者を巻き込むべきだ」と応じた。外部の視点が加わることで、見過ごされてきた価値が言語化され、新たな活動や関係性が生まれるからだ。そのためには、外部視点を生かしつつ、異なる意見を調整する担い手の存在が欠かせない。アニメーション制作においては、聞き手となるアニメーターと、語り部となる地元住民が出会う場そのものが、プレイスメイキングの実践になるだろうと語った。
民話は生きた文化遺伝子か

栗原憲一氏は、地質学という長い時間軸の視点から、民話と地域の関係を捉え直した。億年単位で地球の変化を読み取ってきた経験から、民話もまた、環境との相互作用の中で変化し続ける存在として理解できるのではないかと述べた。
栗原氏はまず、民話を「静的な文化遺産」として保存するのではなく、環境や社会条件との相互作用の中で変化し続ける「動的な生命システム」として捉える視点を提示した。この立場に立つと、民話の変化や多様化は、単なる逸脱ではなく、存続のための適応過程として理解される。生物進化においては、気候変動などの外的要因が進化を左右するが、民話の場合、その役割を果たすのが社会状況やメディア環境だと氏は指摘した。現代では、YouTubeやSNSといったデジタルプラットフォームが、民話の伝播速度や形態、受容のされ方を規定する新たな環境条件になっている。
また、生物進化をもたらす「変異」は、民話が人から人へと語り継がれる過程で生じる物語の変化に重なり、共有されるか、忘れ去られるかという選別の過程には、「自然選択」に相当する圧力が働く。地域ごとに異なるバージョンが生まれる現象も、進化における「分岐」に似ている。結果として、民話もまた多様化と消失を繰り返してきたのだ。
これを受け、民俗学を専門とする飯倉氏から、同一の昔話の差異を地図上に落とし込み、地域の歴史や環境条件との関係を読み解く民俗学的研究が紹介された。また飯倉氏は、『かちかち山』のように、別々の話が結びついて成立した物語は、DNAをもたない文化だからこそ起こりうる進化の形だと指摘した。
民話が「生きた文化遺伝子」であるならば、変わっていくこと自体が価値である。生き残るための条件とは何か、アニメ化されやすい物語だけが選ばれることで、別の物語が絶滅してしまわないか。そうした問いを抱えつつ、栗原氏は、民話が進化し続ける過程そのものに面白さがあると語り、発表を締めくくった。
統括―未来に続く語りの途上
総合討議では、石村智氏が、「未来」という言葉をキーワードとして挙げた。第1セッションでは民話の性質が掘り下げられ、第2セッションではそれを地域で活かす方法を論じ、第3セッションでは民話から生み出される創造のプロセスが共有された。三つの議論はそれぞれ異なる角度から、民話を過去の遺産ではなく、未来にひらかれた存在として捉え直す試みでもあった。
民話は本来、人が集う「場」を必要とするが、現代においては、デジタルメディアもまた、新たな語りの場となりうる。海にまつわる民話をアニメーション化する過程では、研究者やクリエイターをはじめ、行政、観光、地域産業など、多様なステークホルダーが関わってきた。そうした広がりは、民話が語られる「場」や関与のあり方が、現代的に編み直されてきた軌跡そのものだと言える。また、民話は改変されることはあっても、本来の形を保とうとする力を内包しているという意見も共有された。現代まで語り継がれてきた民話に宿る普遍性は、きっと未来にとっても意味をもつ。日本の文化や思想そのものが、アートとしてひらかれていく可能性もあるだろう。海ノ民話は、いまもなお、現在から未来へと語り継がれる途上にある。
